(アニメ感想) あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 第10話 「花火」
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☆あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。について語り合うスレ
とうとう明日に迫った「めんま」の願いを叶える日。そのことを仏壇に手を合わせて「じんたん」の母親に報告する「めんま」は、ふと見た自分の手が、薄く透けはじめていることに気付く。その手を見つめる「めんま」は…。

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以前にラジオであの花語りをした時に、「めんまは母親に何かを託され、最終的にそれがめんま自身の願いになる」という話しが出たことがありました。今後の展開としては実際にその通りのものになそうですね。
私はめんまの願いは、じんたんだけではなく、超平和バスターズ全員に関係するものでなくてはこの物語的にはダメだろうと考えていました。だから最終的には花火を打ち上げるという共同作業によって、めんまの願いの昇華と共にメンバー達の過去も消化されるという展開がキレイな締めだろうと思ったのです。
ところがこの作品はベタな物語を標榜していると聞いていたのですが、最後にちょっと意外性のある展開にもってきたのですよね。そもそも、今回のような状態で花火打ち上げをしても、何の感動も得られないわけですわ。
共同作業はそこに関わる全ての人間の心が一つになることによって、その完成は意味を持つわけです。しかし、ゆきあつにしても、あなるにしても、つるこにしてもとても個人的な打算によって、めんまを成仏させようとしているのですよね。
もちろん過去を精算することは大事ですけど、まるでめんまを厄介払いするように映り、それが後の彼らにとってプラスになるかは甚だ疑問です。結局、めんまの成仏が重要なのではなく、その過程が超平和バスターズ達にどのような意味をもたらすか?ということだと思うのですよ。
今回、じんたんは「めんまが成仏する理由はないのでは?」と迷っています。彼女はすでに死んでいる存在で、本来はここにいていい存在ではないのです。故人を偲ぶということは、故人のためというよりも生きている人間にとって意味のある作業だということを思い出すべきでしょう。
故人の生きた人生を振り返り、その人が自分にとってどんな存在であったか、何をもたらしてくれたのか?そんな感謝が、今後生きる人間の糧となるわけです。
めんまという存在が、今のじんたんやゆきあつ達を繋げ、そして再びあの場所に仲間達を集わせたのです。それ事態にとても大きな意味がある・・・私はそんな気がしてならないのです。
過去は決して変えることは出来ません。しかし何が過去に悔いがあり、それが引っかかってどうしようもなく前に進めないのだとしたら、やり直すことは出来ます。
ゆきあつがあの日の再現をじんたんに強制しましたが、実はこの手法は必ずしも間違っているとは思えないのです。つまり、過去のやり直しは代替行為によって可能だからです。
もっとも、それは全く同じ行動でなくてもいいので、本人の望まない状況で強制するというのは間違いだと思いますけどね。
めんまが母親に託されたことは、今のじんたんにとって必要なことなのでしょう。繰り返しになりますが、それが他のメンバーにとっても意味をもつものであれば物語はうまく完結出来るはずです。最終回はそこに期待したいですね。
しかしゆきあつというキャラの存在が強烈すぎて、どうもじんたんの影が薄くなっている気がする。ゆきあつはメンバーの一人というだけではない、じんたんにあらゆる甘えを許さないライバルという立ち位置になっているのですよ。
めんまの母親の問題も彼が解決してしまったし、動かないじんたんに対して物語を積極的に動かしていくゆきあつの存在は必要だったのでしょうが、それにしても一人歩きしすぎですかね?最終回がちょっと心配です。
<あの花のゆきあつの気持ち悪さが尋常じゃない・・・「ピッコロのらじお♪」は6月17日(金) 夜11時より放送予定>
6月17日(金)夜11時から放送を予定の「ピッコロのらじお♪」は、C、あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。、神のみぞ知るセカイII 。などのアニメについて語ります。
当日は掲示板も設置!初めての方も大歓迎なので、気軽に参加してくださいね~!なお、ラジオの配信のお知らせ、ラジオの聞き方等は、当ブログトップページをご覧下さい。
http://twodimension.net/mtos/Trackback/59
私はめんまの願いは、じんたんだけではなく、超平和バスターズ全員に関係するものでなくてはこの物語的にはダメだろうと考えていました。だから最終的には花火を打ち上げるという共同作業によって、めんまの願いの昇華と共にメンバー達の過去も消化されるという展開がキレイな締めだろうと思ったのです。
ところがこの作品はベタな物語を標榜していると聞いていたのですが、最後にちょっと意外性のある展開にもってきたのですよね。そもそも、今回のような状態で花火打ち上げをしても、何の感動も得られないわけですわ。
共同作業はそこに関わる全ての人間の心が一つになることによって、その完成は意味を持つわけです。しかし、ゆきあつにしても、あなるにしても、つるこにしてもとても個人的な打算によって、めんまを成仏させようとしているのですよね。
もちろん過去を精算することは大事ですけど、まるでめんまを厄介払いするように映り、それが後の彼らにとってプラスになるかは甚だ疑問です。結局、めんまの成仏が重要なのではなく、その過程が超平和バスターズ達にどのような意味をもたらすか?ということだと思うのですよ。
今回、じんたんは「めんまが成仏する理由はないのでは?」と迷っています。彼女はすでに死んでいる存在で、本来はここにいていい存在ではないのです。故人を偲ぶということは、故人のためというよりも生きている人間にとって意味のある作業だということを思い出すべきでしょう。
故人の生きた人生を振り返り、その人が自分にとってどんな存在であったか、何をもたらしてくれたのか?そんな感謝が、今後生きる人間の糧となるわけです。
めんまという存在が、今のじんたんやゆきあつ達を繋げ、そして再びあの場所に仲間達を集わせたのです。それ事態にとても大きな意味がある・・・私はそんな気がしてならないのです。
過去は決して変えることは出来ません。しかし何が過去に悔いがあり、それが引っかかってどうしようもなく前に進めないのだとしたら、やり直すことは出来ます。
ゆきあつがあの日の再現をじんたんに強制しましたが、実はこの手法は必ずしも間違っているとは思えないのです。つまり、過去のやり直しは代替行為によって可能だからです。
もっとも、それは全く同じ行動でなくてもいいので、本人の望まない状況で強制するというのは間違いだと思いますけどね。
めんまが母親に託されたことは、今のじんたんにとって必要なことなのでしょう。繰り返しになりますが、それが他のメンバーにとっても意味をもつものであれば物語はうまく完結出来るはずです。最終回はそこに期待したいですね。
しかしゆきあつというキャラの存在が強烈すぎて、どうもじんたんの影が薄くなっている気がする。ゆきあつはメンバーの一人というだけではない、じんたんにあらゆる甘えを許さないライバルという立ち位置になっているのですよ。
めんまの母親の問題も彼が解決してしまったし、動かないじんたんに対して物語を積極的に動かしていくゆきあつの存在は必要だったのでしょうが、それにしても一人歩きしすぎですかね?最終回がちょっと心配です。
<あの花のゆきあつの気持ち悪さが尋常じゃない・・・「ピッコロのらじお♪」は6月17日(金) 夜11時より放送予定>
6月17日(金)夜11時から放送を予定の「ピッコロのらじお♪」は、C、あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。、神のみぞ知るセカイII 。などのアニメについて語ります。
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