(アニメ感想) 輪るピングドラム 第20話 「選んでくれて ありがとう」
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この作品も早いもので、もう20話。最終回まであと少しというところまできました。ここにきて私は一つ大きな誤解をしていたことに気づいたんです。それは何かというと幾原邦彦という監督についてでございます。
私は少女革命ウテナは見たことはありません。しかし周囲から聞かされていた幾原監督の印象とは、変化球を投げる掴みづらいタイプというものでした。ところがこの輪るピングドラムという作品を見ていて、その認識は間違っているのではないか?最近気づいたのです。
この作品は暗喩的な表現や抽象的演出が多いのですが、実は作り手はこちら側に直球でメッセージを投げかけているのだろうと思うのですよ。そもそも作品の核とは、ストーリーでも画でも音楽でもございません。もっとも重要なのは作り手が受け手に伝えたいこと、つまり「メッセージ」なのです。
ストーリーにしても画にしても音楽にしてもそのための手段に過ぎないと私は考えています。これはアニメに限らないことかもしれないのですが、散々大風呂敷を広げても結局何が言いたかったのかよく分からないといった作品は多く存在します。もちろん受け手側にも作り手のメッセージを察して理解するという努力や能力は必要でしょう。ただ何もないものを理解しろと言われてもそれは作り手の怠慢でしかありません。
その点、輪るピングドラムという作品は幾原監督が自身が丸裸になった状態で、常に直球でメッセージを発信している作品なのだろうと思います。その全貌は最終回を迎えた時点で見えるのだろうことを期待したいところですね。
さて最後に本編の方は、ひまりにとって晶馬がいかに特別な存在なのか、過去回想も交えながら紹介されていました。透明な存在とは社会よりその存在が抹殺されるというより、同化していくそんなイメージだと私は理解しています。
そうして大人は社会に順応していくのでしょうが、自我が目覚める思春期の過渡期においてはそれは耐えられないものなのだろうということが想像出来ます。子供ブロイラーという単語は大人にとってあるいは社会にとって都合にいい存在を生産し続けるという社会風刺なのでしょう。
晶馬やひまりがそこから脱出したということは、まさに社会そのものに対する反乱であり、高倉家の両親が行ったテロ行為などよりもずっと正当な反逆だと私は思います。両親も冠馬の思いも所詮はエゴでしかない。きっとこの先彼らには真の意味での罰が下されることでしょうね。
<ゆるめいつアニメ化決定!・・・「ピッコロのらじお♪」は11月25日(金)夜11時より「ねとらじ」にて放送~!>
11月25日(金)夜11時から放送の「ピッコロのらじお♪」ではガンダムAGEやギルティクラウン、ちはやふる、HUNTER×HUNTERなどのアニメについて語っていく予定です。
当日は掲示板も設置しリスナーさんも自由に意見が交換出来るスペースを設けますのでどうか気軽に参加して下さいませ。
なお、ラジオの配信のお知らせ、ラジオの聞き方等は当日のトップページをご覧下さい
私は少女革命ウテナは見たことはありません。しかし周囲から聞かされていた幾原監督の印象とは、変化球を投げる掴みづらいタイプというものでした。ところがこの輪るピングドラムという作品を見ていて、その認識は間違っているのではないか?最近気づいたのです。
この作品は暗喩的な表現や抽象的演出が多いのですが、実は作り手はこちら側に直球でメッセージを投げかけているのだろうと思うのですよ。そもそも作品の核とは、ストーリーでも画でも音楽でもございません。もっとも重要なのは作り手が受け手に伝えたいこと、つまり「メッセージ」なのです。
ストーリーにしても画にしても音楽にしてもそのための手段に過ぎないと私は考えています。これはアニメに限らないことかもしれないのですが、散々大風呂敷を広げても結局何が言いたかったのかよく分からないといった作品は多く存在します。もちろん受け手側にも作り手のメッセージを察して理解するという努力や能力は必要でしょう。ただ何もないものを理解しろと言われてもそれは作り手の怠慢でしかありません。
その点、輪るピングドラムという作品は幾原監督が自身が丸裸になった状態で、常に直球でメッセージを発信している作品なのだろうと思います。その全貌は最終回を迎えた時点で見えるのだろうことを期待したいところですね。
さて最後に本編の方は、ひまりにとって晶馬がいかに特別な存在なのか、過去回想も交えながら紹介されていました。透明な存在とは社会よりその存在が抹殺されるというより、同化していくそんなイメージだと私は理解しています。
そうして大人は社会に順応していくのでしょうが、自我が目覚める思春期の過渡期においてはそれは耐えられないものなのだろうということが想像出来ます。子供ブロイラーという単語は大人にとってあるいは社会にとって都合にいい存在を生産し続けるという社会風刺なのでしょう。
晶馬やひまりがそこから脱出したということは、まさに社会そのものに対する反乱であり、高倉家の両親が行ったテロ行為などよりもずっと正当な反逆だと私は思います。両親も冠馬の思いも所詮はエゴでしかない。きっとこの先彼らには真の意味での罰が下されることでしょうね。
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11月25日(金)夜11時から放送の「ピッコロのらじお♪」ではガンダムAGEやギルティクラウン、ちはやふる、HUNTER×HUNTERなどのアニメについて語っていく予定です。
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