(アニメ感想) Another-アナザー- 第7話 「Sphere joint -変調-」
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3年3組の教室におびただしい血が流れ、すでに始まってしまった“災厄”は止められないのだと誰もが悟った。“おまじない”は取りやめになり、赤沢たちは「“災厄”をもたらす“死者”は誰なのか…?」という疑問を抱く。そんな時、恒一は15年前の“災厄”だけが途中で止まっていたことを知る。司書の千曳によると、その年の夏休みにはクラス合宿が行われ、夜見山神社をお参りしたらしいが……。

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前回の記事は書きかけで中断してしまい申し訳ありませんでした。後で色々と加筆しようと思っていたらすでに一週間が経ってしまったのです。今回は前回の考察も含めて書いていきたいと思います。
<災厄が始まった時、夜見山市の外に逃げるとどうなるのか?>
少し前から気になっていたのですが、今回作中でも少し触れられていたのでこれは書いておいたほうがいいかもしれません。少し前に作中で誰かが夜見山の外にいる者には災厄が及ばないと話していました。
では、災厄が始まった後に夜見山の外に脱出した場合はどうなるのか?・・・単純に考えると脱出すればその災厄から逃れることは出来るのでしょうね。ではこれまでそうした人間はいるのか?というところが気になります。
これだけ定期的に人が死ぬような異常な事態に陥れば、当然ながら親親族がその異常性に気づき、取り合えず子供だけでも外に退避させようと考えてもおかしくないはずです。でも、これまでそうした生徒は少ない気がするのですよ。
となると考えられのは、災厄が始まってから外に脱出しても逃れられないか、あるいは一見すると偶発的だと考えられるような要因が重なって夜見山市から出られなくなるとかそんな事はないのか?
まあ鳴が夜見山市の別荘に行くようなので、もしかするとそこで何かが証明されるかもしれませんね。次回には注意したいと思います。
<死者係に死者がなった場合はどうなるのか?>
さて以前の考察にも書いた気がしますが、恒一君が死者ではないか?と疑われる展開がくるだろうと私は予想していました。まさに今の状態がそれですが、その疑惑は少し晴れたようです。
鳴が「恒一死者説」を否定したことがより信憑性を与えているのですけど、実は私はまだ恒一死者説を少し疑っているんです。というのも、前回これは生じた疑問、「死者係に死者がなった場合はどうなるのか?」。
この疑問に関しての私の答えは「死者係が死者になった場合は災厄は止まらない」なのです。だっていつの間にか死者の代わりに「死者」を作るという儀式なのに、死者を死者係にしてしまっては全く無意味ではないですか。
さてそうなると気になるのは現在の状況です。災厄は始まりました。これは恒一が鳴を死者して扱わずに話しかけてしまったから起きたとされています。
では仮にそうだとして恒一を死者係にしても災厄が止まらなかったのはなぜか?・・・それこそが恒一が死者であると証明しているのではないか?と私は考えています。
まあしかしこれでは少し単純なので、最後にまだどんでん返しが待ってそうですけどね・・・。
<15年前の災厄はなぜ止まったのか?>
今回一番気になったことです。15年前の7月に恒一の母は亡くなりましたが、その後にも災厄は続き、しかしながら8月9日の二人の事故死を最後に災厄は止まったとありました。
災厄が亡くなった原因については、詳しいことが明かされていないので想像は難しい。ただ現在提示された情報のみで考えると、最後に亡くなった二人・・・そこに謎を紐解く鍵があるのではないでしょうか?
いやもっとシンプルに考えて、8月9日に二人の人間が死んだから災厄が止まったと考えられないでしょうか?・・・8月9日に意味があるのは分かりません、しかし亡くなった二人が何者かに意味はあると私は考えています。
千曳はこの年について「結局死者が誰かは分からなかった」と話しました。そこにヒントがあるとすれば、実は「死者はすでに死んでいたから最後に死者が判明しなかった」のではないでしょうか?
死者が死んでいるという表現もおかしな言い方だという自覚はあります。しかし三年三組には確かに死者が存在するわけですね。そしてその死者は生きている人間とまるで変わりなく生活していると言われています。
死者であっても、この世界では間違いなく「生きている」わけですね。そして「生」がある以上、死者であっても例外なく「死」は訪れるものだと私は考えます。死者にとっての死とは何か?・・・まあそれを端的に言うと「存在が消える」ことなのかもしれません。
視覚的に確認できないということだけではなく、記憶さえも人々から消えてしまう・・・。まあ話しは逸れましたが、15年前の止まった災厄についですが、実は「最後に亡くなった二人のうちの一人が死者」だったのではないでしょうか?
死者が死んだことで、誰も死ぬ必要がなくなり、災厄は止まった・・・。となると、どのように死者が死んだのか?は災厄を止めるいいヒントにはなりそうですね。
今回は他にも鳴に妹がいたことが判明し(12年前に死亡)、これも物語の重要な設定の一つだと思われます。双子の場合は入れ替わりなどの双子トリックがミステリーの世界ではよく使われますが、この作品の場合はどうでしょうか?
鳴とは未だにミステリアスな存在なのです。彼女の秘密に迫ることがこの事件の真相に迫ることにも繋がる。それだけに我々の彼女に対する興味は尽きませんね。
<未来日記がドラマ化!!・・・「ピッコロのらじお♪」は2月22日(水) 夜11時より放送予定>
2月22日(水)夜11時から放送の「ピッコロのらじお♪」は、偽物語を始め、アクエリオンEVOL、あの夏で待ってる、夏目友人帳 肆等の新作アニメについて語っていきます!
夏目友人帳 肆、モーレツ宇宙海賊(パイレーツ)、BRAVE10、アクエリオンEVOL、Another、あの夏で待ってる、男子高校生の日常、ブラック★ロックシューター、輪廻のラグランジェ、アマガミSS+(plus)、パパのいうことを聞きなさい!、ゴクジョッ。~極楽院女子高寮物語~、偽物語、戦姫絶唱シンフォギア、妖狐×僕SS(いぬ×ぼく シークレットサービス)等。
当日は掲示板も設置しリスナーさんも自由に意見が交換出来るスペースを設けますのでどうか気軽に参加して下さいませ。
なお、ラジオについてはこちらのページをご覧下さい↓
http://picoro106.blog39.fc2.com/blog-entry-5616.html
<災厄が始まった時、夜見山市の外に逃げるとどうなるのか?>
少し前から気になっていたのですが、今回作中でも少し触れられていたのでこれは書いておいたほうがいいかもしれません。少し前に作中で誰かが夜見山の外にいる者には災厄が及ばないと話していました。
では、災厄が始まった後に夜見山の外に脱出した場合はどうなるのか?・・・単純に考えると脱出すればその災厄から逃れることは出来るのでしょうね。ではこれまでそうした人間はいるのか?というところが気になります。
これだけ定期的に人が死ぬような異常な事態に陥れば、当然ながら親親族がその異常性に気づき、取り合えず子供だけでも外に退避させようと考えてもおかしくないはずです。でも、これまでそうした生徒は少ない気がするのですよ。
となると考えられのは、災厄が始まってから外に脱出しても逃れられないか、あるいは一見すると偶発的だと考えられるような要因が重なって夜見山市から出られなくなるとかそんな事はないのか?
まあ鳴が夜見山市の別荘に行くようなので、もしかするとそこで何かが証明されるかもしれませんね。次回には注意したいと思います。
<死者係に死者がなった場合はどうなるのか?>
さて以前の考察にも書いた気がしますが、恒一君が死者ではないか?と疑われる展開がくるだろうと私は予想していました。まさに今の状態がそれですが、その疑惑は少し晴れたようです。
鳴が「恒一死者説」を否定したことがより信憑性を与えているのですけど、実は私はまだ恒一死者説を少し疑っているんです。というのも、前回これは生じた疑問、「死者係に死者がなった場合はどうなるのか?」。
この疑問に関しての私の答えは「死者係が死者になった場合は災厄は止まらない」なのです。だっていつの間にか死者の代わりに「死者」を作るという儀式なのに、死者を死者係にしてしまっては全く無意味ではないですか。
さてそうなると気になるのは現在の状況です。災厄は始まりました。これは恒一が鳴を死者して扱わずに話しかけてしまったから起きたとされています。
では仮にそうだとして恒一を死者係にしても災厄が止まらなかったのはなぜか?・・・それこそが恒一が死者であると証明しているのではないか?と私は考えています。
まあしかしこれでは少し単純なので、最後にまだどんでん返しが待ってそうですけどね・・・。
<15年前の災厄はなぜ止まったのか?>
今回一番気になったことです。15年前の7月に恒一の母は亡くなりましたが、その後にも災厄は続き、しかしながら8月9日の二人の事故死を最後に災厄は止まったとありました。
災厄が亡くなった原因については、詳しいことが明かされていないので想像は難しい。ただ現在提示された情報のみで考えると、最後に亡くなった二人・・・そこに謎を紐解く鍵があるのではないでしょうか?
いやもっとシンプルに考えて、8月9日に二人の人間が死んだから災厄が止まったと考えられないでしょうか?・・・8月9日に意味があるのは分かりません、しかし亡くなった二人が何者かに意味はあると私は考えています。
千曳はこの年について「結局死者が誰かは分からなかった」と話しました。そこにヒントがあるとすれば、実は「死者はすでに死んでいたから最後に死者が判明しなかった」のではないでしょうか?
死者が死んでいるという表現もおかしな言い方だという自覚はあります。しかし三年三組には確かに死者が存在するわけですね。そしてその死者は生きている人間とまるで変わりなく生活していると言われています。
死者であっても、この世界では間違いなく「生きている」わけですね。そして「生」がある以上、死者であっても例外なく「死」は訪れるものだと私は考えます。死者にとっての死とは何か?・・・まあそれを端的に言うと「存在が消える」ことなのかもしれません。
視覚的に確認できないということだけではなく、記憶さえも人々から消えてしまう・・・。まあ話しは逸れましたが、15年前の止まった災厄についですが、実は「最後に亡くなった二人のうちの一人が死者」だったのではないでしょうか?
死者が死んだことで、誰も死ぬ必要がなくなり、災厄は止まった・・・。となると、どのように死者が死んだのか?は災厄を止めるいいヒントにはなりそうですね。
今回は他にも鳴に妹がいたことが判明し(12年前に死亡)、これも物語の重要な設定の一つだと思われます。双子の場合は入れ替わりなどの双子トリックがミステリーの世界ではよく使われますが、この作品の場合はどうでしょうか?
鳴とは未だにミステリアスな存在なのです。彼女の秘密に迫ることがこの事件の真相に迫ることにも繋がる。それだけに我々の彼女に対する興味は尽きませんね。
<未来日記がドラマ化!!・・・「ピッコロのらじお♪」は2月22日(水) 夜11時より放送予定>
2月22日(水)夜11時から放送の「ピッコロのらじお♪」は、偽物語を始め、アクエリオンEVOL、あの夏で待ってる、夏目友人帳 肆等の新作アニメについて語っていきます!
夏目友人帳 肆、モーレツ宇宙海賊(パイレーツ)、BRAVE10、アクエリオンEVOL、Another、あの夏で待ってる、男子高校生の日常、ブラック★ロックシューター、輪廻のラグランジェ、アマガミSS+(plus)、パパのいうことを聞きなさい!、ゴクジョッ。~極楽院女子高寮物語~、偽物語、戦姫絶唱シンフォギア、妖狐×僕SS(いぬ×ぼく シークレットサービス)等。
当日は掲示板も設置しリスナーさんも自由に意見が交換出来るスペースを設けますのでどうか気軽に参加して下さいませ。
なお、ラジオについてはこちらのページをご覧下さい↓
http://picoro106.blog39.fc2.com/blog-entry-5616.html
qaz
No title
前回、恒一のおじいさんが律子も冷子もおらんといっていたのでひょっとしたら叔母の冷子も死んでいるのかもしれません。