(アニメ感想) Fate/Zero 第17話 「第八の契約」

投稿者・ピッコロ
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これは始まり(ゼロ)に至る物語ーー 奇跡を叶える「聖杯」の力を追い求め、七人の魔術師が七人の英霊を召喚し、最後の一人になるまで戦いを繰り広げる究極の決闘劇…聖杯戦争。三度、決着を先送りにされた闘争に、今また四度目の火蓋が切って落とされる。10年前に起こった「第四次聖杯戦争」の真実。士郎の養父が、凛の父が、そして若き日の言峰綺礼が繰り広げた 戦いの真相が、いま明らかになる!

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遠坂時臣からセイバー陣営へ共闘の申し入れ。キャスター陣営とランサー陣営が倒れ、残るライダーとバーサーカーの対処により確実な方法を選んだということなのでしょう。
しかしながら、ライダーとバーサーカーを倒した後に時臣陣営はセイバー達とは必ず決着をつけなくてはなりません。現時点でもっとも苦戦するのはライダーとバーサーカーであると現状分析し、最後の一対一の戦いになった場合にセイバー陣営は組みやすしと舐めているわけですな。
まあそれでも、ライダーとバーサーカーを倒したほうが最後まで勝ち進める確率は上がりますから、セイバー陣営としては時臣の思惑は読んでいても、この要求を飲まざるを得ないという状況ではありますね。
ところで時臣との共闘を認めたものの、綺礼が傍にいたことにアイリスが不快感を示したのはなぜなのでしょうか?「アインツベルン家が・・・」という話しに触れてましたけど、アイリスと綺礼の間にどういう因縁があったのでしょうか?
もしかしたら以前に明かされていた話しで私が失念していただけであれば、申し訳ありません。
そして気になるのはアイリスの身体です。何やら自分の身体について彼女の口から色々と語られてましたが、正直言ってよく分かりませんでした。
用は聖杯戦争が終わりに近づくにつれて、アイリスの身体は本来の「物」に近づいていくということなのでしょう。サーヴァントが一人死ぬごとにアイリスは一歩人から遠ざかっていくと理解すればいいのでしょうかね?
<聖杯戦争に隠された真実・・・そして綺礼の裏切り・・・いよいよ面白くなった!>
聖杯戦争の真実について綺礼の口から重要なことが語られました。この冬木の儀式は七体の英霊の魂を束ねて生贄とすることで根源へと至る穴を開けようとする試み。
つまり七人のサーヴァント全ての魂が必要であり、そうでないと聖杯は起動しないということなのです。マスターと共に戦うサーヴァントはやがて勝ち残ったマスターによって最後の生贄として捧げられるわけですな、
当然、最後に真実を知ったサーヴァントはそれに従わない可能性がある。ギルガメッシュなんてまさにそうでしょう。ですから、時臣としては令呪を最後まで取っておきたくて、その使用を渋っていたということです。
ギルガメッシュはその真実を知ってもなお、マスターを綺礼へと鞍替えしこの聖杯戦争を続けるつもりでいます。彼にとって結末よりも、その過程ていかに自分が退屈しないかという事の方が大事なのかもしれません。
それにしても正直こんな早い段階で綺礼がことに及ぶとは想像しませんでした。油断していたとは言え時臣の最後も随分とあっけないものでしたね・・・。
こうなると、時臣とセイバー陣営の共闘の約束は破綻したことになるでしょう。何も知らされていない、セイバー陣営に対しても仕掛けやすくなるし、やはりこの聖杯戦争の鍵を握るのは綺礼ということですな。
ますます戦いの行方が分からなくなってきた。物語としてはこの方が断然面白いな!
<アクセルワールド、衝撃の展開が・・・「ピッコロのらじお♪」は5月2日(水) 夜11時より放送予定>
5月2日(水)夜11時から放送の「ピッコロのらじお♪」は、fate/zero、咲-Saki-阿知賀編 、エウレカセブンAO、夏色キセキ、緋色の欠片、アクセル・ワールド等注目作が目白押し!!
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へっぽこん
No title
フェイト・ゼロ第17話の補足説明と設定について。
まず、カリヤを助けた綺麗はそのことについて迷っており、自分のゆがみを父親に告白しようと教会に向かった。例えそれで父親との関係が決定的に変化することになろうとも、それで新しい何かを得られるかもしれないと考え、教会に行って父親の死体と対面した。
ここはアニメと少し違い、すぐにタイイング・メッセージに気づき、綺麗は令呪を回収。この最初に訪れるのが息子と信じ、また息子が令呪を回収して、自分の代わりに聖杯戦争を監督しうるだけの聖人であると信じた父親の想い。この自分を心から信頼し、また完全に勘違いしている姿に、かつて「愛している」つぶやいて死んだ妻の、心から愛し、完全に勘違いしている姿を思い出す。
父親と妻の重ねながら、綺麗が思ったのは、
「モット○○シタイ」
「モット○○ナスガタガミタイ」
「死ぬ前にキワメツケノ○○ヲ味アワセテヤリタイ」
要約すると、綺麗は自分を本当に信じ愛する者の死に立ち合い、自分の本質に気づきかけたわけです。
次に時臣は神父の死に万が一の可能性がもたげ、その迷いで娘に会いに来たのです。で、原作ではここでなぜ桜を養子に出すしかなかったかの説明があるのですが、その前に魔術師についての属性についての簡単に。
魔術師には属性があり、例えばキリツグは火と土、ケイネスは風と水の二重属性で、これだけでもけっこう珍しいのです。対して、時臣の属性は火のみと、その素質は凡庸で、そのため彼は人の何倍もの努力をして、名門・遠坂家の頭首に相応しい実力を見つけたのです。
ただ、それだけの努力、どれだけ険しい道のりになるかを理解していた時臣の父は息子に「家を継ぐか」と、形式的なものではあるものの、何代も積み重ねてきた魔術回路の破棄しても良い、そう言ってくれたのですが、時臣の場合、娘たちにその選択をさせられないのです。
何しろ凛の属性は五元素を全てという五重属性、桜はさらに珍しい架空元素、虚数属性という、奇跡に近い素質を持っています。そして、これだけ珍しい素質を有すると、怪異のような魔性を自然と招いてしまい、さらに魔術教会が保護の名の元にホルマリン漬けの標本にしてしまうのです。それらから身を守るには魔術師になるしかないのですが、そうしてやれるのは当然、一人だけ。娘を二人とも助けるために、桜を養子に出すしかなかったのです。
ちなみに時臣は間桐の実態を知りません。彼としては桜が身近な所にいられ、また究極の目的である根源に至る魔術師の家に出すと考え、養子に出したのでしょう。
あと、余談ですが、時臣の妻、葵の家は優れた素質を生み出す家系なようで、それにまず目をつけたのは臓見の方なのです。だから、葵と、間桐で最も素質に優れるカリヤは幼なじみなのです。で、次に目をつけたのが時臣で、葵は時臣に惚れ、カリヤは間桐の呪われた家系に愛する人を巻き込みたくないので身を引き、この時点で葵の価値がどれほどのものかわからなかった臓見は、遠坂との対立を招くリスクを考え、手を引いたのです。結果、凛と桜はとてつもない素質を持つ一方、次代を担う予定だった慎二は魔術師としての素質を全くないというありさま。しかし、今更、葵を手に入れようとすると、時臣と全面対決となるのでどうにもならない。裏の事情はこんなものです。
ただ、自分よりはるかに素質に優れるゆえ、決して魔道から逃れられない宿業の
道を歩む娘に対して、時臣が贈る言葉として選んだのが、アレだったわけです。
アイリが時臣の申し出を受けた事情。原作ではセイバーは「自分は万全。残りサーヴァントも自分の力だけで討ち取って見せる」と言うのですが、アニメの通りライダー陣営の拠点をつかむために会見に応じたのです。
アニメでも言ってましたがライダーは飛行宝具で高速移動するため、追跡が出来ず、さすがのキリツグもウェイバーが宿泊費がなくて普通の民家に転がり込んだと予測が出来なかったのです。
それとセイバー陣営とアーチャー陣営の会見。原作では綺麗を退去させる条件として、エクスカリバーに使用制限を加えるというヤリトリがあります。
エクスカリバーは威力が威力なので、地上で使うと周りの建物もなぎ払います。ここでキャスター戦でもヘタすれば川岸の家々も破壊していたかもしれない、たまたま大型船があって難を逃れた、と時臣が言うのに対して、マイヤが「その船はこちらで用意したもの。船の持ち主にも保険が下りたのを確認。こちらはその点を配慮している」と返し、双方はエクスカリバーの使用する際の配慮を明文化することで手を打ちます。
まっ、こんなトコかな、自分が思いつく限りでは。