(アニメ感想) 氷菓 第22話 「遠回りする雛」

投稿者・ピッコロ
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☆氷菓 第21話 「手作りチョコレート事件」の感想をポッドキャストにて収録!
里志が最低だったわけ・・・、おい!セガの名作「バーチャロン」が出てきたぞ!、それぞれの恋愛観について・・・・・・等、パーソナリティ、リスナー様の間でも議論が白熱しましたので、是非聴いて見てください

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<折木が省エネ主義を掲げていることの矛盾>
人は理性的な生き物ではない。もちろん人である以上「理性的であろう」とする姿勢は大切でしょう。自身でも自覚しながらも、明らかに合理性を欠く選択をする時が人にはあるのです。
折木の「省エネ主義」は常に「合理的であらん」とする姿勢の表れだと私は考えています。そうするほうが余計なトラブルにも巻き込まれないし、無駄な体力を使う必要がなく安全であると本人も理解しているのでしょう。
ところが学校と否が応でも他人とコミットせざるを得ない社会において「常に理性的」を貫くのは想像以上に困難なことなんですよ。明らかに理不尽だと思うようなことを強いられることなんて良くあるわけだし、人と付き合えば様々な感情が突き動かされる現場に遭遇することなんてのもしょっちゅうでしょう。それが社会なんです。
そんなことは大人であれば誰でも理解していること。にも関わらず「省エネ主義」を掲げているなんて折木君は実に中二的発想だとむしろ微笑ましく思いますね。
<今回折木に訪れた危機とは?>
結局のところ、折木も里志と同じく臆病なのかもしれませんね。頭が回る分、多くのリスクを先に想定してしまう。もっとも効果的なリスク回避は「関わらないこと」です。
ところが、人が社会と無関係でいられるはずかないから、どうしたって「省エネ主義」でいられるわけがないのです。現に折木君はこれまでその「省エネ主義」からもっともかけ離れている探偵ごっこを繰り返してきました。
私は以前からその「非合理的」な行動の動機はえるにあり、つまるところそれは「恋」だとこれまで感想にも書いてきました。今回のえるの晴れ姿を目の前にした折木が「省エネ主義の危機である」と発言したのも、明らかな非合理に突き動かれつつあるということを意識したからなのです。
とりわけ「恋」という感情はそのように人の理性を狂わせるものであって、しかしながらそうと分かっていても人はそれに溺れてしまうものなのです。その非合理性もまた人である証明と言えますかね。
<えるの選択について、そして総評・・・>
えるは折木に「どんなルートを辿ってもこの町に戻ってくる」と話しました。彼女は自分の役割を理解した上で、それを全うするのがこの家に生まれた者の責任でありそれからは逃れられないと考えているようです。
本人はそのことについて「イヤだとも悲しいとも思わない」と話しましたが、表情がどこか暗いのが気になったのですよね。もしかするとえるも、昔は自身に与えられている役割についても反発したり、ここを飛び出すことを考えたことがあるのかもしれません。
ところがそうすることで多くの人が不幸になるということをいつしか自覚した時に彼女の中には「諦め」が芽生えたのかもしれないとふと想像してしまいました。つまりえるには常に強い縛りがあり、その抑圧の裏返しとして普段の「好奇心旺盛」な態度があるのではないかと私は考えるのです。
実はえるが折木へ真に期待していることというのは、「謎解き」などよりも自身を解き放ってくれることであったりして・・・。まあ仮にそうだったとしても折木がそのことに気づくには、まだ少し時間がかかりそうですな。
さて簡単に総評です。日常のちょっとした疑問からその真相を解き明かすという「日常系ミステリー」の面白さを理解するまでに少々時間を要したのはもったいなかったかなと思いました。
正直、序盤はまだこの作品の面白さを発揮できないでいたのではないでしょうか? しかしながら京アニは女の子を可愛く見せる演出に長けており、えるの可愛さにやられて見続けた方も多い聞いています。序盤はまさに彼女によって助けられましたね。
中盤以降は、学園青春ものらしさや、あるいは人の人の心の暗部に鋭く切り込むような描写が興味をそそり、実に引き込まれていきました。京都アニメーションの何気ないシーンでもドラマチックに見せてしまうという演出力が拍車をかけ、作品を高いレベルにまで押し上げていたと思います。
この氷菓という作品は京都アニメーションに向いている作品でございました。他の制作会社がアニメ化してもこうはいかないでしょう。そういう意味でも幸せな組み合わせだったのかもしれませんね。
<ヘタリア新シリーズが2013年よりスタート!・・・9月19日(水)夜11時は「ピッコロのらじお♪」 を放送!!>
9月19日(水)夜11時から放送の「ピッコロのらじお♪」は今期放送中のアニメを徹底的にレビューしていきます。ソードアート・オンライン、アクセル・ワールド、氷菓、TARITARI、人類は衰退しました、トータル・イクリプス、超訳百人一首 うた恋い。等。
当日は掲示板も設置しリスナーさんも自由に意見が交換出来るスペースを設けますのでどうか気軽に参加して下さいませ。
ラジオについてはこちらのページをご覧下さい↓
http://picoro106.blog39.fc2.com/blog-entry-5616.html
http://x3318jp.blog21.fc2.com/tb.php/672-377a9eb9
人は理性的な生き物ではない。もちろん人である以上「理性的であろう」とする姿勢は大切でしょう。自身でも自覚しながらも、明らかに合理性を欠く選択をする時が人にはあるのです。
折木の「省エネ主義」は常に「合理的であらん」とする姿勢の表れだと私は考えています。そうするほうが余計なトラブルにも巻き込まれないし、無駄な体力を使う必要がなく安全であると本人も理解しているのでしょう。
ところが学校と否が応でも他人とコミットせざるを得ない社会において「常に理性的」を貫くのは想像以上に困難なことなんですよ。明らかに理不尽だと思うようなことを強いられることなんて良くあるわけだし、人と付き合えば様々な感情が突き動かされる現場に遭遇することなんてのもしょっちゅうでしょう。それが社会なんです。
そんなことは大人であれば誰でも理解していること。にも関わらず「省エネ主義」を掲げているなんて折木君は実に中二的発想だとむしろ微笑ましく思いますね。
<今回折木に訪れた危機とは?>
結局のところ、折木も里志と同じく臆病なのかもしれませんね。頭が回る分、多くのリスクを先に想定してしまう。もっとも効果的なリスク回避は「関わらないこと」です。
ところが、人が社会と無関係でいられるはずかないから、どうしたって「省エネ主義」でいられるわけがないのです。現に折木君はこれまでその「省エネ主義」からもっともかけ離れている探偵ごっこを繰り返してきました。
私は以前からその「非合理的」な行動の動機はえるにあり、つまるところそれは「恋」だとこれまで感想にも書いてきました。今回のえるの晴れ姿を目の前にした折木が「省エネ主義の危機である」と発言したのも、明らかな非合理に突き動かれつつあるということを意識したからなのです。
とりわけ「恋」という感情はそのように人の理性を狂わせるものであって、しかしながらそうと分かっていても人はそれに溺れてしまうものなのです。その非合理性もまた人である証明と言えますかね。
<えるの選択について、そして総評・・・>
えるは折木に「どんなルートを辿ってもこの町に戻ってくる」と話しました。彼女は自分の役割を理解した上で、それを全うするのがこの家に生まれた者の責任でありそれからは逃れられないと考えているようです。
本人はそのことについて「イヤだとも悲しいとも思わない」と話しましたが、表情がどこか暗いのが気になったのですよね。もしかするとえるも、昔は自身に与えられている役割についても反発したり、ここを飛び出すことを考えたことがあるのかもしれません。
ところがそうすることで多くの人が不幸になるということをいつしか自覚した時に彼女の中には「諦め」が芽生えたのかもしれないとふと想像してしまいました。つまりえるには常に強い縛りがあり、その抑圧の裏返しとして普段の「好奇心旺盛」な態度があるのではないかと私は考えるのです。
実はえるが折木へ真に期待していることというのは、「謎解き」などよりも自身を解き放ってくれることであったりして・・・。まあ仮にそうだったとしても折木がそのことに気づくには、まだ少し時間がかかりそうですな。
さて簡単に総評です。日常のちょっとした疑問からその真相を解き明かすという「日常系ミステリー」の面白さを理解するまでに少々時間を要したのはもったいなかったかなと思いました。
正直、序盤はまだこの作品の面白さを発揮できないでいたのではないでしょうか? しかしながら京アニは女の子を可愛く見せる演出に長けており、えるの可愛さにやられて見続けた方も多い聞いています。序盤はまさに彼女によって助けられましたね。
中盤以降は、学園青春ものらしさや、あるいは人の人の心の暗部に鋭く切り込むような描写が興味をそそり、実に引き込まれていきました。京都アニメーションの何気ないシーンでもドラマチックに見せてしまうという演出力が拍車をかけ、作品を高いレベルにまで押し上げていたと思います。
この氷菓という作品は京都アニメーションに向いている作品でございました。他の制作会社がアニメ化してもこうはいかないでしょう。そういう意味でも幸せな組み合わせだったのかもしれませんね。
<ヘタリア新シリーズが2013年よりスタート!・・・9月19日(水)夜11時は「ピッコロのらじお♪」 を放送!!>
9月19日(水)夜11時から放送の「ピッコロのらじお♪」は今期放送中のアニメを徹底的にレビューしていきます。ソードアート・オンライン、アクセル・ワールド、氷菓、TARITARI、人類は衰退しました、トータル・イクリプス、超訳百人一首 うた恋い。等。
当日は掲示板も設置しリスナーさんも自由に意見が交換出来るスペースを設けますのでどうか気軽に参加して下さいませ。
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