(アニメ感想) 翠星のガルガンティア 第10話 「野望の島」
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投稿者・ピッコロ
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大きな挫折を味わい、迷いの中でただのロボットであるチェインバーに「戦うことの正当性」を諭され、再びレドが立ち上がる・・・。確かに、チェインバーの言うことは論理的に正しくて、真実を知ったことで困惑しているレドに「迷っているような状況ではない」と奮起させるには十分な言葉だったと思うのです。しかしながら、頭では理解出来てもなんともしっくりこないこのもやもや感は、一体どこに原因があるのでしょうか?
先にどちらが始めた戦争なのかは分かりません。しかし、レドが生まれた時から人類はヒディアーズを敵と認識し抗争を続けていたようです。ヒディアーズは元々文明を捨て宇宙の厳しい環境に適応しするために人類とは別の進化を遂げ、さらにその過程において知性も放棄したというのはチェインバーの話しですね。まあ彼の言うことに正しくない部分が含まれていたとしてもそれを確認する術はないのでこれを鵜呑みにするとして、なるほど相容れない二つの存在が争うことになるのはもはや必然であるという気はします。
生物の本能は結局のところ、種の保存と繁栄というところにいきつきます。地球が産めない星になった人類は、宇宙での暮らしに適応するため二つの選択を取りました。一つは肉体そのものを環境に適応させること、もう一つは科学技術の発展によって人が住める環境を構築すること。ヒディアーズはその過程において人類からかけ離れた異形の体を手にしさらに知能を退化させていったのです。人類はと言うと、その飽くなき科学技術の追及によって宇宙に人類による王国を築くに至りました。
知性を失い本能のまま行動するヒディアーズに対し、もしかすると人類も一度は共存の道を考えたかもしれません。しかしながらそんな話し合いが通用しなかったことは想像に難くないでしょう。人は文明を捨てられません。宇宙で生き抜くために発展させた科学文明・・・それを放棄するということは「死ね」と言っているようなものなのです。一方、知性を捨てたヒディアーズは生存本能が先鋭化し、同じく宇宙において覇権を争う人類に対してはより攻撃的になったのではないでしょうか?
つまり、この宇宙で「生きる」ということは自動的にヒディアーズ「戦い」も強いられることになり、そこに選択の余地はありません。チェインバーがレドに説いた「戦いの正当性」とはこれまでと何ら変わることのない原理原則で、結局のところは原点に回帰したに過ぎませんね。しかしながら、真実を知ってもなお戦うのか?ということを突きつけたという意味においては、これまで何の疑問も感じず戦いの世界に興じてきたレドにとっては大きな選択を為しえる「機会」であるとも言えますね。
とまあここまではいいのですが、どうも今回違和感を覚えたのはレド達が戦い続けてきたヒディアーズは話し合いの余地のない戦うべき敵だとしても、地球種のヒディアーズはこちらからは攻撃しなければ何もしてこない、この世界の人々にとって共存可能な存在であったという事実があるからなのでしょう。ヒディアーズと戦うことはチェインバーの理屈で肯定されたとしてもそれは宇宙種のヒディアーズに限られるもので、それによってまるで無抵抗だった地球種のヒディアーズを皆殺しにしたレドの行動は正当化されるものではありません。
この罪とレドがどう向き合いそして答えを出すのか?それが描写されない限りはこの物語のテーマは消化できない気がします。さてレドが真に対峙すべき真の敵とは誰なのか?次回でそれが明かされそうでありますね・・・。
<「魔界王子devils and realist」7月8日よりスタート!・・・「ピッコロのらじお♪」は6月19日(水) 21時30分より放送予定>
6月19日(水)21時30分から放送の「ピッコロのらじお♪」はアニメ好きDJ陣が春アニメを中心にレビューします!アニメ好きの方は是非チェックだ!!とある科学の超電磁砲S、進撃の巨人、革命機ヴァルヴレイヴ、翠星のガルガンティア等。
当日は掲示板も設置しリスナーさんも自由に意見が交換出来るスペースを設けますのでどうか気軽に参加して下さいませ。
ラジオについてはこちらのページをご覧下さい↓
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先にどちらが始めた戦争なのかは分かりません。しかし、レドが生まれた時から人類はヒディアーズを敵と認識し抗争を続けていたようです。ヒディアーズは元々文明を捨て宇宙の厳しい環境に適応しするために人類とは別の進化を遂げ、さらにその過程において知性も放棄したというのはチェインバーの話しですね。まあ彼の言うことに正しくない部分が含まれていたとしてもそれを確認する術はないのでこれを鵜呑みにするとして、なるほど相容れない二つの存在が争うことになるのはもはや必然であるという気はします。
生物の本能は結局のところ、種の保存と繁栄というところにいきつきます。地球が産めない星になった人類は、宇宙での暮らしに適応するため二つの選択を取りました。一つは肉体そのものを環境に適応させること、もう一つは科学技術の発展によって人が住める環境を構築すること。ヒディアーズはその過程において人類からかけ離れた異形の体を手にしさらに知能を退化させていったのです。人類はと言うと、その飽くなき科学技術の追及によって宇宙に人類による王国を築くに至りました。
知性を失い本能のまま行動するヒディアーズに対し、もしかすると人類も一度は共存の道を考えたかもしれません。しかしながらそんな話し合いが通用しなかったことは想像に難くないでしょう。人は文明を捨てられません。宇宙で生き抜くために発展させた科学文明・・・それを放棄するということは「死ね」と言っているようなものなのです。一方、知性を捨てたヒディアーズは生存本能が先鋭化し、同じく宇宙において覇権を争う人類に対してはより攻撃的になったのではないでしょうか?
つまり、この宇宙で「生きる」ということは自動的にヒディアーズ「戦い」も強いられることになり、そこに選択の余地はありません。チェインバーがレドに説いた「戦いの正当性」とはこれまでと何ら変わることのない原理原則で、結局のところは原点に回帰したに過ぎませんね。しかしながら、真実を知ってもなお戦うのか?ということを突きつけたという意味においては、これまで何の疑問も感じず戦いの世界に興じてきたレドにとっては大きな選択を為しえる「機会」であるとも言えますね。
とまあここまではいいのですが、どうも今回違和感を覚えたのはレド達が戦い続けてきたヒディアーズは話し合いの余地のない戦うべき敵だとしても、地球種のヒディアーズはこちらからは攻撃しなければ何もしてこない、この世界の人々にとって共存可能な存在であったという事実があるからなのでしょう。ヒディアーズと戦うことはチェインバーの理屈で肯定されたとしてもそれは宇宙種のヒディアーズに限られるもので、それによってまるで無抵抗だった地球種のヒディアーズを皆殺しにしたレドの行動は正当化されるものではありません。
この罪とレドがどう向き合いそして答えを出すのか?それが描写されない限りはこの物語のテーマは消化できない気がします。さてレドが真に対峙すべき真の敵とは誰なのか?次回でそれが明かされそうでありますね・・・。
<「魔界王子devils and realist」7月8日よりスタート!・・・「ピッコロのらじお♪」は6月19日(水) 21時30分より放送予定>
6月19日(水)21時30分から放送の「ピッコロのらじお♪」はアニメ好きDJ陣が春アニメを中心にレビューします!アニメ好きの方は是非チェックだ!!とある科学の超電磁砲S、進撃の巨人、革命機ヴァルヴレイヴ、翠星のガルガンティア等。
当日は掲示板も設置しリスナーさんも自由に意見が交換出来るスペースを設けますのでどうか気軽に参加して下さいませ。
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