(アニメ感想) 蟲師 第22話 「沖つ宮」

蟲師 其ノ肆




生みなおしの子・・・。美しい海に囲まれたとある島を訪れたギンコ、あることを知りたくてここに来たのですが村人達は固く口をつぐみ情報収集もままなりません。そんな中、出会った一人の女性澪・・・彼女は海を指し、光が現われる岩の下には、竜宮と呼ばれる海淵がありそこで命を落としたものは全く同じ姿で生まれてくると話します。「生みなおし」、島の人々からそう呼ばれるもの・・・澪の娘イサナも母親の生みなおしなのでした・・・。この島では生みなおされて幸せに暮らしている人は多いと言います。「お前もそうなのか?」と言うギンコの問いかけ。「マナと呼ばれると少し困る、でも気にしない」と無邪気に答えるのはイサナ。自分の知らない誰かのイメージを重ねて見られるとまるで自分を否定されたように感じるものなのでしょう。それを悟ってかイサナの母は決してマナと言う名で娘を呼ばずに育ててきたようです。

しかし、次第にイサナは性格、細かなくせまで自分の知っている母に近づいていく・・・澪の苦悩はそこにあるようです。娘が自分が母と呼んでいた人に似てくる、自分の娘とは思えないと澪は話します。例え同じ人間であったとしても環境等によって人は変わるものです。性格の形成においては、育てた親や周りの環境が及ぼすとこは大きいはず。にも関らず、自分の知っている母そのものが娘としてそこにいるとしたらその心中も複雑なものとなるでしょうね。

人を取り込み胚の状態まで戻すと言う蟲。彼らの欲するものは人の生きた時間なのかもしれないとギンコは話します。人々の生きた時間、それは記憶をと言うことなのかもしれません。彼ら蟲にとって人々の生命は眩しすぎるほど輝きを放って映るのではないでしょうか?人々の大切な何かを摂取しそれを糧として生きていく蟲達。

そういえば前回のお話しとも関連性がある気がします。綿吐と言う蟲、よくよく考えるとこの蟲も人の生命を脅かす恐ろしい存在です。身ごもった母に寄生し分身を作り増殖する。それも恐ろしい速度で増える、生きているうちに殺さなければ多くの種を撒き散らし恐ろしい数の種がばらまかれます。人間の天敵とも言える蟲かもしれません。ギンコは、我々のほうが強いからと話してましたが知恵をつけ恐ろしい速度で進化する彼らを野放しにしていれば、何れは人も滅びの道を辿っていたかもしれません。今回の蟲も人々に生みなおしを繰り返させることで、人としての進化を停滞させやがては滅びへと追いやっているようにも思えます。しかも、ここは閉鎖的な島ですし外部の人間もほとんど来ないとなるとなおさらです。

さらに性質の悪いことにこの二つの蟲は人の情と言うものを巧みに利用しています。綿吐は親が子の姿をしていれば、殺しにくいと考えるところににつけこみ、今回の蟲も同じく肉親や恋人等の死なせたくないと言う感情につけいり、コピーを繰り返させます。これが蟲が意図的にしていることなのか、それとも本能的なものなのかは定かではありませんが・・・。いずれにせよ、この島で生みなおしが続けられるとしたら、先に未来はないような気がしますね。蟲とは人を滅ぼす存在でもあるのか・・・。

蟲師 其ノ漆

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